弁天社と山ノ上町

神を祀る社

海を見渡す見晴らしの良い住吉町の丘の上に海陽亭は建っています。
魁陽亭としてこの場所に料亭が建設されたのは明治7〜13年(1874〜80年)であると言われていますが、それ以前はこの丘の上に神を祀る社がありました。

その社は小樽の総鎮守(そうちんじゅ)である住吉神社の前身であり、「北海道」の名付け親として知られる松浦武四郎も訪れた由緒正しき場所です。

今回はかつてこの場所に建っていた『弁天社』とその周辺の山ノ上町について取り上げます。

山ノ上町の成立

山ノ上町は安政4年(1857年)に当時の小樽(未開地から村並となり自治体になった頃)の名主であった山田兵蔵が自費を投じて開墾しました。
地形が丘の上であったために、誰が呼ぶとなく「山ノ上」と呼ばれるようになったそうです。

明治2年(1869年)ごろまでは旅籠屋(はたごや)が3軒と商家が5軒あっただけでしたが、翌明治3年(1870年)には町名を称するまで人が集まり住むようになりました。
この頃から明治11、12年頃(1880、1881年頃)にかけて山ノ上地区は急速に発展し、小間物屋、荒物屋、呉服屋、旅籠屋などの街並みが出来上がり、人々の往来も増え、旧小樽を代表する町となります。
魁陽亭が建ったのはそのような時期でした。

現在は世界各地から多くの観光客が訪れる、小樽でも有数の観光地の一つとなっています。

小樽オルゴール堂の横を上る坂は「三本木急坂」と呼ばれる坂です。
今は急ではありませんが、かつては雪が降ると上れなくなるような急坂だったと言います。
そのため、明治15年(1882年)と明治18年(1885年)の2回にわたり道路を2メートルずつ切り下げました。
「三本木」という名は、坂の中腹に三本のアカダモ(ハルニレ)の大木があったことに由来します。

この木は、明治18年(1885年)の切り下げで伐採されてしまいましたが、海を渡る船乗りたちの良い目印になるほど立派なものでした。


(『流芳後世 おたる海陽亭』 1992年より。明治5年(1872年)頃に現在のメルヘン交差点あたりから山ノ上町を望んだところ。山上の木が三本木。)


(現在の三本木急坂)

弁天社と住吉神社

小樽には神社がたくさんあります。
毎年6月から7月にかけては、毎週小樽市内のどこかから、お祭りの賑やかな音が聞こえてきます。

住吉神社は数ある小樽の神社の中でも一番規模が大きく、その歴史も深い総鎮守の神社です。
その住吉神社の原点は、山ノ上町の弁天社境内にありました。

弁天社の創立年月日ははっきりとは分かっていませんが、江戸時代前期の天和(1681年〜1684年)から元禄(1688年〜1704年)の間、あるいは江戸時代中期の延享(1744〜1748年)の頃とされています。
弁天社にはその名前の通り、貧困を救い財物を与える天女で七福神の一人「弁財天」が祀られていました。

『小樽市史』の第1巻によると、小樽において最も賑々しく祭典を行った始めは文久三年(1863年)6月の「弁天社祭禮(さいれい)」だったようです。
石狩から神官を招いて祭主とし、祭禮には小樽の顔役たちが勢ぞろいして、6月14日、15日に御輿を担いで市内各所を巡りながら、空前の賑わいを見せたと言われています。

松浦武四郎が書き残した『西蝦夷日誌』には
「弁天社・地蔵堂、階段敷級を上がる。ここより諸方を眺望する風景宜く、一眸に石狩までよく見ゆ。」
という記載があり、この場所からの風景の素晴らしさ、さらにはこの場所がいかに目立っていたのかが伺い知れます。


(『西蝦夷日誌』に掲載されている小樽)

この弁天社に住吉神が祀られるようになったのは、江戸時代末期の元治元年(1864年)に、箱館八幡宮神主・菊地重賢が住吉神の勧請を箱館奉行所に願い出、勧請・創建の許可を受けたことがきっかけでした。
当初は現在のメルヘン交差点あたりに社地が造成される予定だったそうですが、明治維新の改革により造成が途中で中止となったため、ご神体は山ノ上町の弁天社境内に仮奉祀されることになります。
住吉神が鎮座されてから「弁天社」の名は廃せられ、「墨江神社(すみのえじんじゃ)」と呼ばれるようになりました。

その後、明治四年(1871年)に量徳町二十八番地(現在の双葉高等学校のあたり)に移転、明治14年(1881年)の火災後には現在の場所に社殿を移し、明治25年(1892年)に「住吉神社」と改称されました。

住吉神社では小樽の発展に連れ祭禮が逐年盛大に執行され、七月祭禮には山車が勝納、山ノ上、入船、港、堺、色内、手宮から各一車出て、特にニシンが豊漁の時はとても賑やかなものだったそうです。
明治、大正時代は札幌と函館とともに北海道三大例祭の一つとして数えられたこの祭りは、「おたる祭り」と称されて毎年市内外から多くの人々が訪れています。


(『小樽市史』第3巻に掲載されている明治20年の頃の住吉神社)


(現在の住吉神社)

小樽は歴史が深い街です。
慶長年間(1596〜1610年)に開拓されて以来、数多のストーリーが繰り広げられてきました。
普段何気なく目にしている場所や建物も、詳しく調べその糸を手繰ると意外なものとの繋がりや、新たな発見があるかも知れません。

どのようにして街が現在に至るのか。
街の歴史を学ぶことは、過去から現在に至るまでの時間軸上に確かに自分が立っているという気持ちにさせてくれます。
「自分と街が関係している」ということに気がつけば、普段生活している街をより強く「自分たちの街」だと感じられるのではないでしょうか。

図書館や博物館、小樽市内に点在する歴史的建造物など、色々なところで小樽の歴史を知ったり、感じたりすることができます。
散歩がてら、気軽に訪ねてみてはいかがでしょうか。

参考文献
・『小樽市史』 第1巻 (小樽市、1944年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042053
・『小樽市史』 第2巻 (小樽市、1944年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042055
・『小樽市史』 第3巻 (小樽市、1944年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042057
・住吉神社HP
http://www.otarusumiyoshijinja.or.jp/index.html
・松浦武四郎 『西蝦夷日誌』 3、4編(多気志楼、1863年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763060
・『流芳後世 おたる海陽亭』(北海道建築士会小樽支部、1992年)

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