小樽市指定歴史的建造物第2号

海陽亭の建物

現在の海陽亭の建物は、明治29年(1896年)に発生した住之江大火の後に建設されました。

建物全体はコの字型となっており、用途や建築時期から3つの大きなブロックに分けることができます。
建物へ続く石段を上がって正面の棟は、海陽亭の中で最も古い明治期に建てられたもので、2階には「日露国境劃定会議」後の大宴会が催された大広間「明石の間」を有します。
石段の左側の棟は大正期に建てられ、2階には以前ブログでも取り上げたガス灯が当時のまま残る中広間「松風の間」があります。

そして石段の右側の棟は、自家用の住宅として使用されていました。

この部分は小樽市指定歴史的建造物の指定範囲外であることからかつての海陽亭の姿を復元するために解体されています。(図面の赤い線で囲われたエリア)

今回は小樽市指定歴史的建造物に触れながら、この指定外だった箇所についてご紹介いたします。

小樽市指定歴史的建造物とは

小樽には明治・大正・昭和の歴史的に価値のある建造物が数多く残り、小樽独自のノスタルジックな景観を形成しています。
小樽市ではこのような景観を保全するために、昭和58年(1983年)に「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定し、31棟の「歴史的建造物」を指定しました。
海陽亭は昭和60年(1985年)に「歴史的建造物」の第2号として指定されています。

平成4年(1992年)には上記の条例を発展的に解消し「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」を制定。

建築の歴史上貴重であるものや地域の歴史的背景から重要であり、保全すべきものを「小樽市登録歴史的建造物」として登録され、その中から更に所有者の同意を得たものは「小樽市指定歴史的建造物」として登録されます。

同年の日本建築学会北海道支部による調査によると、
小樽の歴史的建造物は社寺建築54棟を含む2,357棟まで数えられました。
ここでいう歴史的建造物の定義は以下の通りです。
・建築年が昭和20年(1945年)以前のもの
・小樽市指定歴史的建造物を含まない

平成24年(2012年)のNPO法人歴史文化研究所の調査によると、
歴史的建造物は1,178棟(指定歴史的建造物71棟・社寺建築84棟含む)まで減少したと報告がされています。

その後も登録歴史的建造物は減少を続けており、現在では1,000棟を切るのではと予想されます。

現在、「小樽市指定歴史的建造物」として登録されている建物は79件あり、小樽市ホームページからその一覧がご覧頂けます。

また、海陽亭は昨年、平成30年5月24日に北前船の日本遺産ストーリー「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の追加認定の中で、構成文化財として登録されています。

海陽亭の歴史的建造物指定外

次の写真は歴史的建造物の指定範囲外だった住居部分の写真です。馴染みのある方が多いのではないでしょうか。
(一段下にも独立して建っていた住宅がありましたが、そこも解体され更地になっています)



この建物は平屋の和室建築で、屋根に使われていた瓦は、専門家によると石川県旧能美郡で制作された「小松瓦」である可能性が高いとのことです。
建物が取り壊された後、この瓦は海陽亭の厨房内に移動され、現在でも保管されています。

かつての海陽亭の姿を取り戻すためのこの解体工事は昨年2018年夏に行われ、現在は更地となっていますが、海陽亭に新たな展開を生むために活用される予定です。
この部分を含む海陽亭の隣接地に新設のホテルを建設することが現在計画中です。

古い建物はその街の景観を大きく担っています。
そのための歴史的建造物指定制度であり、修繕のための優遇措置もされている状況ですが、一方でその優遇措置では修繕費が追いつかずにオーナーが手放すケースも多いのが現状です。場合によっては解体されるケースもあり得るでしょう。

歴史的建造物のほとんどが民間所有であることと、利活用の難しさから減少の一途をたどっていますが、
今一度その重要性を考える時期に来ています。

「使い続ける限り建物に寿命はない」とも言われていることから、
古い建物こそ、その街の大切な資産として使い続け残していくことが重要です。
それは、かつての「運河論争」から派生した「残して活かす」小樽スタイルだと言えます。

参考文献
・『流芳後世 おたる海陽亭』(北海道建築士会小樽支部、1992年)

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