建築としての海陽亭・照明

海陽亭から見る照明の変遷

海陽亭では明治から昭和にかけた照明器具が使用されており、その種類はガス灯から蛍光灯まで様々です。
それらの照明を細かく観察することで、時代と共に移り変わってきた照明とそれにまつわる歴史が浮かんできます。

海陽亭の建物についてご紹介する「建築としての海陽亭」。
第2回は海陽亭の照明について取り上げます。

貴重なガス灯

全長1,140mに渡って伸びる小樽運河に立ち並ぶ、まちのシンボルとしてのこのガス灯は、1985年(昭和60年)に31基がその光を灯して以来、現在では63基にまで数を増やしました。
液化天然ガスの白黄色の炎がガラス箱の中でほとばしるその姿は、歴史情緒溢れる小樽を代表する風景の一つです。

小樽にガスが供給されるようになった1912年(大正元年)から、小樽のガス灯はその需要を伸ばしていきました。
しかし、白熱電球の発明と配電システムの普及により世界の情勢がガス灯から電灯へと移り変わっていくと、小樽のガス灯も次第に廃れていきます。

そのような歴史的文脈を内包する小樽のガス灯ですが、海陽亭2階の「松風の間」には今でも昔のままで残っており、
天井中央にはガス灯シャンデリアが1基、部屋の四隅にはペンダント型のガス灯が備え付けられています。
今の天然ガスと違って当時は石炭ガスだったので、優美な青白い光が部屋を明るく照らしていたと想像できます。


日本において、ガス灯が昔のままの姿で建物に残っている例は、1870年(明治3年)竣工の大阪造幣寮の応接館である泉布館と、この海陽亭の二つと言われています。

泉布館のガス灯は造幣用に製造されるコークス製造に伴うガスを利用していましたが、1908年(明治41年)から電気に切り替わり現在に至ります。
一方、海陽亭のガス灯は「松風の間」の棟が建てられた1915年(大正4年)当時のガス菅がそのまま天井裏に残っており、ガス灯としての姿をそのまま残している非常に貴重な存在です。

移り変わる海陽亭の照明

ガス灯から電灯へと、街を明るく照らす灯が変遷していく中で、海陽亭の照明も変わっていきました。

「松風の間」の天井から釣り下がっている洋風のペンダント型照明は、明治〜大正初期の製品で、ガス灯と同じく建設当初から付いている器具です。
元々は中央のガス灯シャンデリアを囲んで7基ありましたが、そのうちの3基は蛍光灯に代わりました。

「日露国境劃定会議(1906年)」後の大宴会が行われた「明石の間」には、建設当時の照明器具は残っていません。
1912年以降に天井の改修がされたことが調査によって分かっていますが、当初の照明はその時に取り外されています。

「明石の間」の照明は、これまでに何度かに分けて増設、交換されてきました。
現在は、第二次世界大戦ごろに製造されたシャンデリア型の白熱灯や、蛍光灯が取り付けられています。


古いものを現代に活かすためには

海陽亭を照らしてきたあかりは、ガス灯〜白熱灯〜蛍光灯と、近代照明の歴史をなぞるように時代と共に移り変わってきました。
いくつもの時代に跨って共存している照明器具たちの様子は、脈々と続いてきた「海陽亭の歴史」を体現しています。

一方で、現在あかりの灯らない海陽亭内のガス灯をどうしていくのかは大きな課題です。

経済の合理性を優先して電気に置き換えるのか、
文化の価値を優先して費用をかけてガス灯として復活させるのか、
はたまた現状通りオブジェのままなのか、
それとも取り外してしまうのか。

昔と現代(いま)、そしてその先の未来の姿を想像(創造)することで、今私たちが取るべき行動が見えてきます。
そのことを、この街に住むなるべく多くの人達と共有し議論していくことこそが大切だと考えます。
海陽亭はその象徴として、大きな役割を担うことができる存在です。

照明という、一つの要素を掘り下げただけでも広がる歴史的見聞や可能性。
少しつずつですが、この場所に眠る歴史や物語について発信を続けつつ、活動をしていきたいと考えます。

参考文献
・『流芳後世 おたる海陽亭』(北海道建築士会小樽支部、1992年)

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